とずけんどっとこむ

更新日 2011-09-24

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とずけんどっとこむ都図研のマーク-2(白).png〜Tozuken.com〜

東京都図画工作研究会公式WebSite

ウェッブブラウザが原因?&世田谷美術館」・・・2010/5/31(月)

image001.jpg○毎日、毎日、ぼくがメールしているHP担当の菅原先生から、「ユーチューブの画面半分問題」の返事がきました。それによると、どうも、ソフトが原因らしいです。さすが、とずけんパソコン関係第一人者だけあって、いろいろと詳しいですね。それにしても、日々の作業努力ありがとうございます。

こんにちは、ご無沙汰しております。品川の菅原でございます。
YouTubeの画面が見えなくなる件ですが、以前のようにリンクを張るだけにしましょうか?
それが一番手っ取り早い解決方法です。
原因はウエブブラウザだと思います。
ウインドウズに標準搭載されているInternet Explorerは以前から評判が悪いんです。
「Mozilla Firefox」「Google Chrome」「Safari」「Lunascape」「Opera」など無料公開されているので、それをインストールしてホームページを見れば、YouTubeの画面はしっかりみれると思います。
ただ、「とずけんどっとこむ」を見ている人全員にそのようなお願いは無理ですよね・・・。
このようなページがありますので、ご参考までに・・・。
http://www.teglet.co.jp/tp/soft/brws/index.html 

image003-3.jpg「老人と美術館」○「フェリックス・ティオリエ(1842~1914」」写真展を久しぶりに世田谷美術館でみました。ティオリエは、フランスの写真黎明期の作家で、いままでほとんど知られていなかったようです。遺族の子どもが、膨大な紙焼きを発見したことからその存在が発見されたらしいです。ピクトリアリズム(絵画的な写真)と呼ばれるらしく、古典的な絵画の美しさを思わせる写真群でした。37歳で仕事を引退し、写真に打ち込んだそうです。あまり公的な発表もなく限られた範囲での仕事だったらしいです。世の中には、こうしたよい仕事をしながらも、著名ではない人もたくさんいるのですね。映し出される19世紀の被写体たちは、微妙な光の諧調のなかででそこに佇んでいました。
今年86歳になる母親と息子たちと出かけたのですが、曇り空の美術館は閑散としていて静かでよいですねimage005-3.jpg「ティオリエ展カタログ」(美術館とすればお客さんで混んでいるほうがよいかもしれませんが(笑)…客のぼくとしては、すいているのが、美術館のよさです。そこには、贅沢で豊穣な時間があると思いませんか)
VTSのまねごとをして、母親に「ここでなにが起こっていますか?」「どうしてそう思いますか?」などと質問しながら、2階の素朴派の展示などをみたのですが…傑作な回答が「これは明治天皇を書いたものである!」とルソーの作品をみながら答えていました。髭のとんがり具合や軍服らしい服装から連想したらしいのです。なかなか本質をえていると思いました。

画面の下が途切れてしまうのは…なぜ?」・・・2010/5/30(日)

○昨日は、雨が今にも降りそうな天気であったが、無事運動会も終了した。若い先生方が主になって指導した場面が多々あり、感無量の表情をみせていました。
また、昨日は、某会疑がありましたが、運動会のため欠席となりました。関係の先生方ありがとうございました。

image001-6.jpg「ごらんの写真のようにユーチューブの画面が途切れてしまい、それ以降の文章などもカットされてしまう。せっかくの工夫の編集なのですが、これは、受信側の問題なのでしょうか?」○この「日記」も、菅原さんが、工夫して編集していただいている。昨日は、「iPadの説明するけぇ、よう聞きんさい。」
の画面をウェッブ上でみられるような、ここのところ続いている構成がなされていましたが、どうも、ぼくのパソコンでは、画面全体が映らずに画面の下部分以降がカットされてしまうようです。それぞれのパソコンによって、うつり方がちがうのかしら?
また、下記の文章部分もカットされてしまっているようなので、再掲載してみます。

◆「体内時計」が、午前3時前後にこのところセットされていて、早起きすぎるかな?それでも、4時台に、メールを送ってくる「朝型仕事人」が、ぼくの他にもいますね。
◆さて、今日は、休日で少しのんびりとしているみなさんと、「コトリンゴ & 坂本龍一 - to stanford (LIVE)」を聞きながらのお別れです。

エトセトラ」・・・2010/5/29(土)

○今日は、運動会。天気はどうでしょうか?

○「iPad」が販売された。詳しくは、どんなものだかわからない。「電子書籍」で、家に「積読(つんどく)」がなくなるのは、すごいと思う。また、出版社を抜きにした流通形態ができるので、「本」という媒体自体が今後どうなっていくのか興味深いところです。都図研でもだれか買ったかしら?

「iPadの説明するけぇ、よう聞きんさい。」


○「体内時計」が、午前3時前後にこのところセットされていて、早起きすぎるかな?それでも、4時台に、メールを送ってくる「朝型仕事人」が、ぼくの他にもいますね。

○さて、今日は、休日で少しのんびりとしているみなさんと、
「コトリンゴ & 坂本龍一 - to stanford (LIVE)」を聞きながらのお別れです。

荒川修作さん逝去」・・・2010/5/28(金)

image003-2.jpg○19日、世界的な現代美術家「荒川修作」さんが亡くなられた。ぼくにとって、荒川さんは、「錯視図形」のような芸術家であった。つまり、常識的な観念を認知的な視点から覆し、存在論的な問いへと導きなおす。そんな印象をもっていた。・・・というものの、それほど熱心に作品をみていないので、もう少し見てから考え直したいと思う。
「荒川修作」というキーワードに関するぼくの個人的な体験は…
ひとつは、昔、「セゾン美術館」が廃館後、「セゾンアートプログラム」となり、青山に移り、萩原佐和子さんや多摩美の海老塚耕一さんたちと「第二期あそび術」のプログラムをおこなったが、そのなかで「ツール」をつかった鑑賞授業をNHKが取材に来たことがあった。
そのなかで、子どもたちに、荒川さんの作品(図形的な絵画)をスライドで見せたのだが…ぼくは何と説明したらよいのかわからなく困っていたら…子どもがいきなり手をあげて「これは、算数や理科のテストのようなものです。そうした感じを表していると思います」と発言した。
確かに、荒川さんの「絵」は、単にみるものではなく、「読む」ものとしての絵画であった。子どもの直観はすばらしいとその時つくづく思った。子どもは、意味を理解するのではなく、意味を生み出していくのであった。
いまひとつは、大学生の時かな…岡田隆彦先生の講義を受けた後で、荒川さんの名前を知り、さらに、雑誌『みずゑ』か何かで、斜傾した土台のうえで、女性が、ウォークマンを聞きながら歩いている作品写真を見たときであった。作品は、完結し対象化された事物ではなく、環境へと拡張され、その中で、観者の意識が発生していくものであった。「なるほど」と思った記憶がある。

映画『死なない子供たち』というのが、今夏リリースされるらしい。荒川さんの子どもや人間へのメッセージであろう。
荒川さんのHPは…
http://www.architectural-body.com/

○略歴
◆1936年生まれ。名古屋市瑞穂区出身。芸術家。建築家。コーディノロジスト(芸術、哲学、科学を横断し、総合へと向かう探求者の意)。
◆1960年、前衛芸術集団「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」を結成、その後渡米。
現代芸術家として、日本での評価より欧米で先に評価される。ウェルナー・ハイゼンベルグ(量子力学)、ハンス・ゲオルグ・ガダマー(解釈学)、ジャン・フランソワ・リオタール(ポストモダニズムの哲学者)、イタロ・カルヴィーノ(小説家)らからの多大な関心は世界的に有名である。パートナーのマドリン・ギンズとともに、1981年以降「宿命反転」という構想を掲げる。亡くなる前のジャック・デリダが荒川とギンズの共著『建築する身体』に関心を寄せていたという。死に抗する建築の実現に向け、ラディカルな活動を続けていた。
◆1996年日本芸術大賞、2003年紫綬褒章。
◆2010年5月19日死去。
(http://d.hatena.ne.jp/keyword/%B9%D3%C0%EE%BD%A4%BA%EEより)

サボテンの花」・・・2010/5/27(木)

image004.png○5月16に紹介したサボテン(写真小)花もあっという間に、ひょろひょろ〜っと伸びて、花をつけました。この花は、初めてみましたが、本体に比して、ずいぶん茎が長いですね。サボテンというのは、形自体が変わっているのですが、その花や茎も奇妙なバランスです。胴体から、いきなり花が咲くものもありますが、今年は、その気配がありません。
ところで、「サボテン」と、この花の品種名ではなく漠然と呼んでいますが、サボテンという言い方は、サボテン「科」に属する植物の総称のことです。この「分類」には、さまざまな「階層」が立てられています。
image005-1.jpg5月16に紹介したサボテン(写真小)ウィキペディアによると以下のような生物学の「分類表」をみることができます。さまざまな学説によっても分類形式は異なるようです。最近では「遺伝子学」の発達でこの分類も変化してきているようです。
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%9F%E7%89%A9%E3%81%AE%E5%88%86%E9%A1%9Eより)
スクリーンショット(2010-05-27 6.39.11).png

普段、「生物学」的に身の回りの生き物をみているわけではないので、こうした図表をみると、なんだかクールな感じがして新鮮です。「魂」とか「精神」とか「価値」とかいったものの見方とは、また、位相のことなる見方ですね。
例えば、「ヒト」は、現象的・文化的・社会的には、さまざまな「民族」に分けられたりしますが、「サピエンス」は、生物学的には、同一種のものとして、明確に分けることはできないようです。
次のような「生物の定義」も文学的ではなく新鮮です。

生物を定義するのは難しい。普通の言葉では、生物とは生きているものであり、生きているとは生命があることであり、といった、言い換えしかできないからである。現在、我々が生き物と見做して知り得ているものが、生き物全てである保証はない。
生物が無生物から区別される一般的な特徴として、生物は、自己増殖能力、エネルギー変換能力、恒常性(ホメオスタシス)維持能力という3つの能力をもっている。
生物の個体は何らかの形の自己複製によりその祖先(親)から誕生し、ほとんどは恒常性の破綻とともに死を迎える。その間の時間は、生物は外部から物質を取り入れ、体内で化学変化させ、生じるエネルギーで自らの体の状態を一定に維持し、あるいは発展させ、不用な物質を外に捨てる。この誕生と死の間のエネルギーを変換しながら活動している状態が生きているということである。
つまり地球上の生物で言えば、タンパク質からなる酵素を中心とする代謝の働きと、核酸からなる遺伝子による遺伝の働きが、生物が生物であることを維持するためのしくみであると言える。
現在の地球上の生物に限って言えば、最も明確に生物を定義する特徴は、細胞から成り立っているということである。細胞は先述の生物の定義に於いて、生物と見なせる最小の単位である。
生物と非生物の境界領域にウイルスやリケッチアがある。両者共に他種の生きた細胞の存在なしには何もできないが、適当な細胞の存在下では一定の活動を行い、自己複製を行って数を増やし、他の細胞へと侵入することができる。それは明らかに生物である細菌類の病原体の振る舞いと変わらなく見える。構造的に細胞からなるリケッチアは生物に入れられる例が多いが、リケッチアも単独では自己増殖能力がないため、境界領域においてはこの3つの能力を基準にした厳密な線引きは難しい。細胞の構造を持たず、自己増殖能力にかかわる構造を自らの中に持たないことから、ウイルスは生物ではないと見なす判断が慣習的には多い。ただし、その存在の起源に生物が関わった可能性は高く、生物に無関係とは考えられない。
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%9F%E7%89%A9より)


「この誕生と死の間のエネルギーを変換しながら活動している状態が生きているということである」。言われると改めて「なるほど」と思ったりしてしまいます。こんな当たり前と思われることばに、感心するのは「おじさん」の証拠でしょうか?

1965年あんどサボテン」・・・2010/5/26(水)

image002-2.jpg○こども城の有福さんからいただいた写真です。ありがとうございます。ぼくのパソコンのリカバリーにための空メール催促のお土産です。岩崎清先生とのツーショットです。
『美術手帖』1965年増刊号について、当時の出版についてうかがいました。そもそもこの本は、こどもの城の会議で有福さんにみせてもらったものを、調べてぼくが古本屋で購入したのでした。水島先生も探したがもうなかったらしいです。以前にこの日記で主要な部分を紹介させていただきました。
有福さんのメールによると、1965年は「吉展ちゃん事件」「ベ平連」「政治の時代」「清志郎もRCデビュー7年前、初恋の歌も作っていない頃」で、有福さんは小学生の時代だそうです。ぼくも11歳です。

image005.jpgimage006.jpg5月10日に紹介したサボテン君○5月10日に紹介したサボテン君(写真小)が、こんなに大きくなりました。花かと思っていたら、茎?でした。トゲも立派に育ってきました。初々しいトゲなので、まが痛い感じがしません。増殖していく感じでおおきくなっていくんですね。
○さて今日は、1965年のビートルズを聞きながらのお別れです。ぼくはぜんぜんわからんかったです。ガキでした。
「Beatles - Twist & Shout (live in 65)」
http://www.youtube.com/watch?v=h6TIEkB4_F8&feature=related

「戦後美術教育を考える会~野々目圭三を通して~」実行委員会」・・・2010/5/25(火)

image002.jpg「会議終了後、鈴石先生お手製のパスタをほおばる。鈴石先生の「そば」はおいしくて有名であるが、このパスタもなかなかである。いい食器で出せば、レストランとそん色ない」○昨日はccAA で「戦後美術教育を考える会~野々目圭三を通して~」実行委員会がありました。作業や日程などを確認しました。
こどもの城とccAA の共同開催で場所もそれぞれの場所での二回興業となります。展示内容も若干、変わってくると思います。
ぼくとしては、この展覧会で戦後の教育が図工を通して何を求めていたのかが、創造美育運動にかかわった野々目圭三先生の実践作品を通して見えてくるといいなあと思います。
ただ、心配なのは、野々目先生の指導作品をみても、それがどのような意味をもったものなのか、作品の背後にある精神のようなものが受け取られずに、単に描き方の方法論として受け取られてしまうのではないか、ということは危惧すべきことです。
最近、中学から降りてきた先生の「12色相環を教えなくてはだめだ。子どもは色についてわからないから」。などという発言を聞いたのですが、「子どもの創造性」について無頓着なこうした発言(ましてや学習指導要領にさえ書いていない内容ではないですか!)は、腹立たしいのを超えて、あきれるばかりです。
こうした傾向が、ものすごく増えている状態だとすると、戦後の美術教育の土壌そのものを失いつつあるのかもしれません。

○追伸:水島先生は、マジ「清志郎」に詳しいですね。驚きです。初期の「恋人」に捧げた歌などの、面白い話を教えてもらいました。それから訂正です。「穴澤編集長」もたいへんシャイでな性格です。ここに訂正いたします(笑)

雨&ヤノマミ族」・・・2010/5/24(月)

image001-2.jpg「葉の間から芽が出たと思ったら、ピューっと伸びて、つぼみがつきました。このアンバランスな感じが、サボテンぽいですね」○東京は少雨で、なんだか「梅雨」っぽい天気です。今週末は、うちの学校は、「運動会」なので心配ですね。この間、病院で、診断表を書くのに、体の曲がり具合を測りました。前30度、後30度、左右横30度でした。ひどい硬直具合です。これでは、道に落ちている「お金」も拾えませんね(笑)。体の「柔軟性」「筋力」「体力(持久力)」をつけるには、どんな運動がいいでしょうか?

○休日、うとうとしていると、NHKのBSで「ヤノマミ」の再放送を行っていました。ヤノマミとは、NHKの番組解説によると…

image004.jpgアマゾンの最深部に1万年以上、独自の文化・風習を守り続けている部族がいる。欧米人に“最後の石器人”と呼ばれているヤノマミ族だ。現在、ヤノマミ族は2万人。40〜200人で一つの集団を作り、ブラジルとベネズエラにまたがる広大なジャングルに分散して暮らしている。
私たちはその一つ、ワトリキ(風の地)と呼ばれる集落に150日間同居し、彼らの言葉を覚え、彼らと同じモノを食べながら撮影を続けた。森の中、女だけの出産、胎児の胎盤を森に吊るす儀礼、2ヶ月以上続く祝祭、森の精霊が憑依し集団トランス状態で行われるシャーマニズム、集団でのサル狩り、深夜突然始まる男女の踊り、大らかな性、白蟻に食させることで天上に送る埋葬…。そこには、私たちの内なる記憶が呼び覚まされるような世界があった。
笑みを絶やさず、全てが共有で、好きなときに眠り、腹が減ったら狩りに行く。そんな原初の暮らしの中で、人間を深く見つめてゆく。※ブラジル政府、および部族の長老7名との10年近い交渉の末、TV局としては初めて長期の同居が許されたものです。(http://www.nhk.or.jp/special/onair/090412.htmlより)


こういうものをみると驚きとともに、あらためて「文明」や「文化」について考えさせられますね。ちなみに、「ヤノマミ」ということばは、ヤノマミ語で「人間」という意味だそうです。

メールのお願い&白土三平論(四方田犬彦、作品社、2004年)」・・・2010/5/23(日)

○PCをリカバリーしました。メールアドレスが消去されました。お手数ですが、関係の皆様、辻まで、「空メール」を送信していただけると、アドレスが登録できます。よろしくお願いします。

image003.jpg「『白土三平論』(四方田犬彦著、作品社、2004年)○この間、映画『カムイ伝』を借りてみました。ぼくにはたいへん面白かったのですが…家族にはたいへん不評でした。「変位抜刀霞切り(へんいばっとうかすみぎり)」とか「飯網落し(いづなおとし)」とか「抜け忍」とか…映像をみるだけで、そうした「単語」を言い放つ自分自身に、自分でも驚いたのですが…子どものころの記憶というのはすごいですね…この映画自体がどんな文脈で描かれたものであるのか、何も知らない観客(読者)には、人がむやみにばたばたと死んでいくだけの物語にみえたかもしれません。
ところで「白土三平」は、「手塚治虫」と並び立つマンガ界の巨匠です。いうなれば、手塚が「陽」で、白土は「陰」です。手塚のまなざしが、「希望」や「ファンタジー」をもっていたとするなら、白土は、「社会」や「現実」というもののニヒルでリアルな姿をみせてくれました。
小学生のぼくは、近所の貸本屋「モリヤ書店」から本を借りてきて、『シートン動物記』や『サスケ』などを読みふけったわけですが…今にして思うと、理科的な、自然の原理や仕組みといったものをマンガのなかで「図解」しているのに気付きます。そこには「微塵がくれ」やさまざまな忍術の方法が図解されていました。これは、すごい新鮮に感じたのを覚えています。(現在の「学習指導要領」で強調されている「観察・実験、レポートの作成、論述などの知識・技能の活用」などは、白土三平の漫画を読めばいいのではないかな(笑))。
「白土三平」の名前は、近頃、聞きませんが、評論家の「四方田犬彦(よもたいぬひこ)」さんが、渾身の力作『白土三平論』を出版しています。(評論家、学者というのはすごいですね。ほんとよく調べてあります)
そのなかで気になったことが、白土作品の「読者」の変質についてです。四方田さんは、次のように述べています。

2000年代の読者たちは、もはや白土を歴史の不可逆的発展を説く教師とも、人間の深層心理に宿る神話的な欲動を描く寓意的作者とも考えていない。彼らは忍者カムイの組み立てフィギュアに熱中し、コミケットで白土漫画のパロディ小冊子を売りさばくことに忙しい。…(中略)…彼らはいうなれば白土漫画における第三世代の受容者である。そこには先行する世代が重力のように抱え込んでいた歴史という観念もなければ、自然と文明、神話と現実という、白土が終生にわたって拘泥してきた主題への積極的関心もない。白土漫画のすべてが遊戯的な次元へ還元され、その世界に参入できる愛好家だけが楽しむことのできる、親密にして閉鎖的な領域が準備されている。それは歴史的なるものの記憶がことごとく隠蔽され、世界を構成しているさまざまな差異が例外なく平坦に見えてきてしまう、この現代に特有の現象であるように、わたしには思われる。(『白土三平論』P333より)

「読者」(受容者)の意識そのものが変質してきているという指摘は、うなずけますね。ぼくたち図工教員世界の身辺の人員構成でも、こうした「第三世代」が、半数を占めるようになってきているようです。当然、図工教育をめぐる言説も変容せざるを得ないでしょうね。

○さて、今日は、ミルト・ジャクソンの軽快なビブラフォンを聞きながらのお別れです。

http://www.youtube.com/watch?v=s8sBHp4o-FI

「病院完了&CCAA総会」・・・2010/5/22(土)

100521_0938~01.jpg○昨日は、病院に久しぶりに診察に行きました。
MRIの診察結果をまだ聞きに行けて無かったのでした。久しぶり病院いくと、いつものように混んでいて、うとうとしてしまいました。何回か大きな声で名前を呼ばれ診察室にいくと、フィルムが貼ってありました。医師がそれをみながら、「まあ、一応これでおしまいですね」と治療の完了を告げられました。約8ヶ月の長い通院も終わりました。皆さまホントにご迷惑をおかけしました。ありがとうございました。あとは体力の回復です。少しずつ回復していきたいと思います。(・・・歳なのでこれ以上は向上しないのでしょう。(ニガ笑い))

100521_1907~01.jpg○それから昨日はCCAA の評議委員会と総会がありました。昨年の報告と今年度の計画が承認されました。CCAAの活動も徐々に発展して、活動が多岐に渡ってきました。鈴石先生のがんばりと関係者の尽力で、行政や公的な機関がカバーできない市民の生活を基盤とした芸術活動が展開しつつあります。これは、かつてない歴史的な試みだと考えられます。(それにしても、これだけ地域貢献して、家賃が今年から四万円値上げで24万円というのは痛いですね。・・・行政は、なに考えているのでしょうか?)

○CCAA 総会に久しぶりに岩崎清先生もきていて、お話ししました。『美術手帖』1965年増刊号の紹介を以前しましたが、これは岩崎清先生が弱冠24歳の時の編集の仕事だそうです。(すごいですね!)以後45年たちますが、現在でも有効な資料として生きているというのは、編集力と「本」という媒体のもつ力でしょう。
岩崎先生にしろ鈴石先生にしろ、この世代は怪物的な人がいますね(笑)。その下の世代のぼくや有福さんや横内さんや穴澤さんは、どちらかというと、たいへん性質のおだやかな世代ですね!(穴澤編集長は別かな?)

「カラス・風景」・・・2010/5/21(金)

○パソコンが不調のため、PC メールが使えない状態です。関係の皆さまは、携帯かFAX、電話でご連絡下さい。お手数ですがよろしくお願いします。今日からしばらくは「携帯日記」が続きそうです。トホホ。そう言えば、岩崎清先生は海外にいた時に「携帯」で翻訳の仕事やりきったというすごい話を聞いたことがあります。ぼくは女子高校生のようにあんなに早く指はうごきません(笑い)のでたいへんです。

100520_1658~01.jpg○どんよりとした天気が続きます。まさか梅雨入りでは?もう少しカラッとした天気を味わいたいものです。昨日は安全点検(毎月一回おこなう生活指導のお仕事)に屋上にでると護国寺を住処とするカラスがごっそり。近づいても逃げもしません。ヒッチコック監督の映画『鳥』を思い出してしまいました。カラス自体が特に意図をもってそこに存在しているわけではありませんが、眼前の情景が、記憶と結びつき、風景としての色合いをもってしまうのは、思えば不思議です。また、さらに、いくつかの・・・例えば、体調であるとか、疲れやその他の記憶や状態と連合して、風景の意味を成立させているようです。
「風景」というのは、あたかも客観のように感じられますが、絶えず記憶と結びついたものとしてあるようです。この時、ぼくはカラスをみてヒッチコックを思い出したのですが、「芸術」がつくりだしたイメージの力の強さは、人のこころに根付き、世界を判断したり、価値づけたり、という心的な構造をかたちづくる大きな力をもっていると思います。「風景は芸術を模倣する」のですね。

「現代日本語書き言葉均衡コーパス!?」・・・2010/5/20(木)

○昔、自転車で北区まで通っていました。「西が丘サッカー場」の横を通って、北ノ台小学校に勤務していたのでした。通り道、古ぼけた建物があって、「国立国語研究所」と書いてありました。「何を研究してるんだろう?」などと思っていましたが、縁はなく、何十年かが過ぎました。(現在は、立川の方に移転しているようです)
昨日、国立国語研究所から、郵便がきました。「現代日本語書き言葉均衡コーパス」のサンプリングにぼくの著作物を対象にしたので、許諾を得たいという手紙でした。無作為にサンプルを抽出して、「コーパス(言語資料)」をつくるとのことでした。(…よくわかりません(笑い))
国語や日本語の研究者ではないので、この方面には暗いけれど、こんな研究もあったのかと、目からウロコです。ぼくたちは、日々、日本語を使っていますが、自覚的に言葉を使用しているわけではありませんし、その使い方が、世代や地域や領域によって、同じというわけではありません。
言葉の使用される文脈を「言葉」を「タグ化」して、資料化するらしいのです。それによって、言葉の使用傾向が把握できるという壮大な研究のようです。(…よくわかりません(笑い))

※以下は、国立国語研究所のサイトから抜粋です。(http://www.ninjal.ac.jp/kotonoha/ex_1.html#top)

日本語をはじめとする言語を分析するための基礎資料として、書き言葉や話し言葉の資料を体系的に収集し、研究用の情報を付与したものを言語コーパス (language corpus)と呼びます。コーパスは1960年頃から言語研究のために構築されるようになりましたが、近年では狭い意味での言語学の領域を超えて、幅広い研究領域で利用されるようになってきました。また学術目的での利用だけでなく、産業界でも利用されています。下の表は、コーパスがどのように利用されるかをまとめたものです。もちろん、このほかに、日本語に興味をもつ個人が、言葉に関する疑問を解消するためにコーパスを利用することも考えられます。

スクリーンショット(2010-05-20 13.45.44).png

※「現代日本語書き言葉均衡コーパス」検索デモンストレーションは、下記URLサイトでご覧になれます。

http://www.kotonoha.gr.jp/cgi-bin/search_form.cgi?viaTopPage=1

「運動会が近づいてきた」・・・2010/5/19(水)

image002-1.jpg「プログラムやスローガンを大きく書いて、校舎の窓に設置する。装飾係のメインの仕事の下準備をする。来週、係の子どもたちと仕上げる。時間がないので、けっこうたいへんですね。」○運動会が近づいてきました。うちの学校は春にやります。秋に行うところも多いですね。秋は、行事が立て込むので、最近のように、多忙化した学校では、春の方が、多忙感や疲労感が少ないかもしれません。
ところで、運動会は、純然たる「競技」というよりも、どこか、「お祭り」的なものが残存しています。都会部では、かなり薄れていますが、地域によっては、村の人たちが、参加して、大きな交流イベントになっているところもあるようです。この辺りは、どうしてなのかと思っていると、スポーツジャーナリストの玉木正之(たまきまさゆき)さんが、以下のように、日本の運動会の特色について述べていていました…

 改めて考えてみると、運動会とは、じつに奇妙なイベントである。パン食い競走とはいったい何を競う競技なのか? スプーン・レースや大玉転がしは、いったい誰が何のために考え出したのか? 騎馬戦や棒倒しは? どうして仮装行列などというものがあるの?
 こんな奇妙なスポーツ・イベントは、外国には存在しない。日本のオリジナルである。そこで運動会のルーツを調べてみると、おもしろいことがわかった。
 日本の運動会は、明治29年に初代文部大臣の森有礼が文部省令を発したことに端を発している。森文部大臣は、横浜の外国人租界地で陸上競技会を見物して体育教育に有効と判断し、全国の小中学校で運動会を催すよう訓令を発したのだった。が、命令を出されたほうは、大いに困惑した。
 なにしろ教育制度が定まったばかりで、まだ運動場すら整備されてない時代である。困った学校関係者は、いくつかの学校で話し合い、合同で神社や寺の境内を借り、運動会を開催することにした。
 が、そうなると生徒がただ競走するだけでなく、氏子や檀家も参加できるような競技を考える必要が生じた。今日の言葉でいうなら「住民参加」である。そこで考え出されたのが、パン食い競走や大玉転がしだったのだ。
 そのうえ、どうせ神社やお寺でイベントを行うなら、夏祭りか秋祭りも同時にやれば、ということになり、中央に櫓を組み、盆踊りや豊年満作踊りを踊るようになった。これがフォークダンスのルーツなのだ。
 現在でも、運動会となると、なぜか母親は腕をふるって豪華な弁当を作りたがるが、それは、運動会が祭りと一体化した歴史があるからなのだ。
 一方、当時は自由民権運動が激しく弾圧された時代で、自由民権の志士たちは集会を開けなくなっていた。そこで「最近流行の運動会なら弾圧されないだろう」と思った志士たちは、「壮士運動会」と称するイベントを開催し、そこで「政権争奪騎馬戦」「圧政棒倒し」「自由の旗奪い合い」といった競技を創り出した。
 さらに、その合間にデモを行い、民選議会(国会)の設立を訴えたり、薩長藩閥内閣の打倒を叫んだりした。そのデモンストレーションが、後に仮装行列に変わったのである。
 それら二種類の運動会が混ざり合い、現在の運動会に発展したのだが、この運動会の歴史は、日本人の豊かな遊び心が創りあげたもの、といえるのである。

(http://www.tamakimasayuki.com/musica_bn_36.htmより)

「路地の花&『美育文化』編集会議」・・・2010/5/18(火)

image002-7.jpg「早朝のご近所の玄関先。花をめでる気持ちが、路地を通る人のこころをなごませる。土地は狭いし、自然はない。ぎっしりと家が立ち並ぶ、都市の庶民の生活の知恵ですね。」○茅場町で「美育文化」誌の編集会議に参加した。我が国の「美術教育の専門誌」は、「教育美術」(教育美術振興会)と「美育文化」(美育文化協会)しかない。
昨年「美育文化」は60周年を迎えたが、現場とは別のところで、戦後の美術教育は、この二誌が背負ってきたといっても過言ではない。かつて「美育文化」は、毎月号であったが、現在は隔月号となってしまった。これは、美術教育の衰退の傾向と歩を同じくしているところもあるのではないか。言論が、盛んでないとその領域は、活性化しない。穴澤編集長、並びに、協会の皆様には、ぜひがんばっていただきたい。

○そんななかで、「野々目展」の話も出たのだが、ぼくは、野々目先生の指導した児童画の存在価値は、現在、教育の中心として、盛んに述べられている「学力」論とは、別のところに、あるような気がしている。
つまり、子どもや子どもの作品が「学力」という機能論に、からめとられない存在としてそこにあるように感じているのだ。学力という中心から、営みや出来事が、捉えられるのではなく、それ以前の子どもという存在を…それは、現在のまなざしからは、異和をもたらすのだが…野々目という一個人の問題としてでもなく、戦後の教師たちが、もとめた何ものかが、横たわっている気がしてきている。

「『美術手帖』6月号、サクラが散っても…」・・・2010/5/17(月)

image003-4.png「サクラが散ってもHAPPY HAPPY」というフレーズが元気がいいですね。おじさんには、なかなかおもいつかない語感です。○今月、『美術手帖』6月号の「子どもと美術」は、宮内愛先生の「サクラが散ってもHAPPY HAPPY」
が掲載されました。木枠にビニルを貼り、のりと「サクラ」など、様々な材料を存分に体感しつつ、戯れる題材です。
宮内愛先生は、今月号のBTのテーマにならって言えば、「新世代図工教師!」です。こうした新世代図工教師の皆さんが、活躍してくれると、ほんとうれしいですね。
それから、最近長い名前の学校が増えてきましたね(笑い)。宮内先生の学校も「品川区立小中一貫校荏原平塚学園」。玉置副会長は「練馬区立光が丘秋の陽小学校」。それから、先日、市部の方からも電話がかかってきて「○○市立小中一貫○○○、○○小学校」の○○です。郵便のあて先や電話の自己紹介のとき、たいへんですね。(笑い)

「新芽・国東半島峰入りなど」・・・2010/5/16(日)

○土曜日は、OFFでした。母親の「透析」の出迎えもあるのですが、またしてもよく寝てしまいました。最近めっきり、体力がなく、寝ていると足がつってしまいます。やはり、体力向上をなんとかしないといけませんな。この一年間を乗り切るには切実な問題です。
image007.jpgニンジンのヘタから新芽がでてきました。若葉の緑は、初々しい柔らかい緑色ですね。image008.jpgサボテンも、にょき~っと、芽が伸びて、花が咲きそうです。

○トイレで「朝日新聞」(15日版)を読んでいると、「土曜授業の復活、争論」という特集記事が目につきました。対論の相手は「本田由紀」さんと「蔭山英男」さん。本田さんは、東京大学の先生で、『多元化する能力と日本社会』(2005年NTT出版)などで、教育の「格差」などに論究している気鋭の教育学者です。蔭山さんは、「百マス計算」で、有名な先生です。…個人的には、本田さんは、「鋭い指摘をする人」とか、蔭山さんは、「マニュアル的」などと、思いを抱いていたのですが…今回の論調では、本田さんは「土曜授業」賛成派。蔭山さんは「否定派」でした。結局、両者の共通項は、教員を大幅に増員しないと、するにしろ、しないにしろ、現実的で有効な施策にはいたらない、ということが読み取れました。
image009.jpg「面白い地形ですね。円の中心から峰が四方に広がっています。この峰を修行で歩いていくのです」○うとうとしていると、NHK(仏心継承の荒行 ~国東半島・峯入~[BShi]5/15(土) 前11:30-後0:59)で「国東(くにさき)半島峰入り」のドキュメントやっており、みてしまいました。はじめてみたので面白かったです。これは、大分県にある国東半島の放射状に広がった険しい峰が続く、自然のなかで行われる修行で、2000年に行われて以来、10年ぶりの荒行が4月30日~4日まで行われたものです。1000年以上昔から続いてきた行事でもあります。寺院や霊場を巡る行程は約150キロに及び、6日間にわたって半島の険しい山道を歩き続けるものです。もともと明治期に入って、「廃仏毀釈」で、途絶えていたものが、時を超えて復活したものだそうです。
現代人が「修行」という行為になぜ惹かれるのか?といったことや、また、修行の行く先々での地域との交流なども興味深かったです。しかし、路上で正座して僧侶を待つ人々は、老人ばかりで、「限界集落」(過疎化などで人口の50%以上が65歳以上の高齢者になり、冠婚葬祭など社会的共同生活の維持が困難になった集落のことを指す)となってしまった、村の姿もみせていました。精神的なよりどころやコミュニティを失った現代社会がもつ問題を提示しているように感じました。

「峰入り」について、ウィキペディアでは…

奈良時代から平安時代にかけて、仏教(天台宗)に宇佐八幡の八幡信仰(神道)を取り入れた「六郷満山」と呼ばれる仏教文化が形成され、山岳地域の険しい山道を歩く「峰入り」と呼ばれる難行が行われるようになった。

(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E6%9D%B1%E5%8D%8A%E5%B3%B6より)

…と紹介しています。

■キーワード

・六郷満山(ろくごうまんざん)とは、大分県国東半島一帯にある寺院群の総称である。…伝説によれば、仁聞(にんもん)菩薩が、養老2年(718年)頃に、国東半島の各地に28の寺院を開創し、6万9千体の仏像を造ったといわれている。実際には、古来から国東半島にあった山岳信仰の場が、奈良時代末期から平安時代にかけて天台宗の寺院の形態を取るようになり、近隣の宇佐神宮を中心とする八幡信仰と融合した結果、神仏習合の独特な山岳仏教文化が形成されたと言われる。
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E9%83%B7%E6%BA%80%E5%B1%B1より)
・神仏習合(しんぶつしゅうごう)とは、土着の信仰と仏教信仰を折衷して、一つの信仰体系として再構成(習合)すること。一般的に日本で神祇信仰と仏教との間に起こった現象を指すが、広義では、世界各地に仏教が広まった際、土着の信仰との間に起こった現象をも指す。
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E4%BB%8F%E7%BF%92%E5%90%88より)
・山岳信仰(さんがくしんこう)とは、山を神聖視し崇拝の対象とする信仰。自然崇拝の一種で、狩猟民族などの山岳と関係の深い民族が山岳地とそれに付帯する自然環境に対して抱く畏敬の念、雄大さや厳しい自然環境に圧倒され恐れ敬う感情などから発展した宗教形態であると思われる。山岳地に霊的な力があると信じ、自らの生活を律するために山の持つ圧倒感を利用する形態が見出される。
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%B2%B3%E4%BF%A1%E4%BB%B0より)
・廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)一般に「廃仏毀釈」と言えば、日本において明治維新後に成立した新政府が慶応4年3月13日(1868年4月5日)に発した太政官布告「神仏分離令」、明治3年1月3日(1870年2月3日)に出された詔書「大教宣布」などの政策によって引き起こされた仏教施設の破壊などを指す。
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%83%E4%BB%8F%E6%AF%80%E9%87%88より)
・本地垂迹(ほんじすいじゃく)とは、仏教が興隆した時代に表れた神仏習合思想の一つで、日本の八百万の神々は、実は様々な仏(菩薩や天部なども含む)が化身として日本の地に現れた権現(ごんげん)であるとする考えである。
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%9C%B0%E5%9E%82%E8%BF%B9より)

「小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校等における児童生徒の学習評価及び指導要録の改善等について(通知)」・・・2010/5/15(土)

○以下、文部科学省より、11日付けで「学習評価」等についての通知が出されましたので抜粋します。特に指導の充実・改善のための「学習評価」について力点が置かれています。
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/nc/1292898.htmより)

◎小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校等における児童生徒の学習評価及び指導要録の改善等について(通知)

 このたび,中央教育審議会初等中等教育分科会教育課程部会において,「児童生徒の学習評価の在り方について(報告)」(平成22年3月24日)(以下「報告」という。)がとりまとめられました。
 「報告」においては,学習指導要領において示された基礎的・基本的な知識・技能,それらを活用して課題を解決するために必要な思考力・判断力・表現力等及び主体的に学習に取り組む態度の育成が確実に図られるよう,学習評価を通じて,学習指導の在り方を見直すことや個に応じた指導の充実を図ること,学校における教育活動を組織として改善すること等が重要とされています。また,保護者や児童生徒に対して,学習評価に関する仕組み等について事前に説明したり,評価結果の説明を充実したりするなどして学習評価に関する情報をより積極的に提供することも重要とされています。
 指導要録は,児童生徒の学籍並びに指導の過程及び結果の要約を記録し,その後の指導及び外部に対する証明等に役立たせるための原簿となるものであり,各学校で学習評価を計画的に進めていく上で重要な表簿です。
 文部科学省においては,「報告」を受け,各学校における学習評価が円滑に行われるとともに,各設置者による指導要録の様式の決定や各学校における指導要録の作成の参考となるよう,学習評価を行うに当たっての配慮事項,指導要録に記載する事項及び各学校における指導要録の作成に当たっての配慮事項等を別紙1〜6のとおりとりまとめました。
 ついては,下記に示す学習評価を行うに当たっての配慮事項及び指導要録に記載する事項の見直しの要点並びに別紙について十分に御了知の上,各都道府県教育委員会におかれては,所管の学校及び域内の市町村教育委員会に対し,各指定都市教育委員会におかれては,所管の学校に対し,各都道府県知事及び構造改革特別区域法第12条第1項の認定を受けた地方公共団体の長におかれては,所轄の学校及び学校法人等に対し,国立大学長におかれては,その管下の学校に対して,「報告」の趣旨も踏まえ,指導要録の様式が適切に設定され,新しい学習指導要領に対応した学習指導と学習評価が行われるよう,これらの十分な周知及び必要な指導等をお願いします。
 さらに,幼稚園,特別支援学校幼稚部,保育所及び認定こども園(以下,「幼稚園等」という。)と小学校及び特別支援学校小学部との緊密な連携を図る観点から,幼稚園等においてもこの通知の趣旨の理解が図られるようお願いします。
 なお,平成13年4月27日付け13文科初第193号「小学校児童指導要録,中学校生徒指導要録,高等学校生徒指導要録,中等教育学校生徒指導要録並びに盲学校,聾学校及び養護学校の小学部児童指導要録,中学部生徒指導要録及び高等部生徒指導要録の改善等について」及び平成20年12月25日付け20文科初第1081号「小学校学習指導要領等に関する移行期間中における小学校児童指導要録等の取扱いについて」のうち,小学校及び特別支援学校小学部に関する部分は平成23年3月31日をもって,中学校(中等教育学校の前期課程を含む。以下同じ。)及び特別支援学校中学部に関する部分は平成24年3月31日をもって,高等学校(中等教育学校の後期課程を含む。以下同じ。)及び特別支援学校高等部に関する部分は平成25年3月31日をもって,それぞれ廃止します。

1 学習評価の改善に関する基本的な考え方について

(1) 学習評価を通じて,学習指導の在り方を見直すことや個に応じた指導の充実を図ること,学校における教育活動を組織として改善することが重要であること。その上で,新しい学習指導要領の下における学習評価の改善を図っていくためには以下の基本的な考え方に沿って学習評価を行うことが必要であること。

  •  【1】 きめの細かな指導の充実や児童生徒一人一人の学習の確実な定着を図るため,学習指導要領に示す目標に照らしてその実現状況を評価する,目標に準拠した評価を引き続き着実に実施すること。
  •  【2】 新しい学習指導要領の趣旨や改善事項等を学習評価において適切に反映すること。
  •  【3】 学校や設置者の創意工夫を一層生かすこと。

(2) 学習評価における観点については,新しい学習指導要領を踏まえ,「関心・意欲・態度」,「思考・判断・表現」,「技能」及び「知識・理解」に整理し,各教科等の特性に応じて観点を示している。設置者や学校においては,これに基づく適切な観点を設定する必要があること。

(3) 高等学校における学習評価については,引き続き観点別学習状況の評価を実施し,きめの細かい学習指導と生徒一人一人の学習の確実な定着を図っていく必要があること。

(4) 障害のある児童生徒に係る学習評価の考え方は,障害のない児童生徒に対する学習評価の考え方と基本的に変わるものではないが,児童生徒の障害の状態等を十分理解しつつ,様々な方法を用いて,一人一人の学習状況を一層丁寧に把握することが必要であること。また,特別支援学校については,新しい学習指導要領により個別の指導計画の作成が義務付けられたことを踏まえ,当該計画に基づいて行われた学習の状況や学習の結果の評価を行うことが必要であること。

2 効果的・効率的な学習評価の推進について

(1) 学校や設置者においては,学習評価の妥当性,信頼性等を高めるとともに,教師の負担感の軽減を図るため,国等が示す評価に関する資料を参考にしつつ,評価規準や評価方法の一層の共有や教師の力量の向上等を図り,組織的に学習評価に取り組むことが重要であること。

(2) その際,学習評価に関する情報の適切な管理を図りつつ,情報通信技術の活用により指導要録等に係る事務の改善を検討することも重要であること。なお,法令に基づく文書である指導要録について,書面の作成,保存,送付を情報通信技術を活用して行うことは,現行の制度上も可能であること。

(3) 今後,国においても,評価規準等の評価の参考となる資料を作成することとしているが,都道府県等においても,学習評価に関する研究を進め,学習評価に関する参考となる資料を示すとともに,具体的な事例の収集・提示を行うことが重要であること。

3 小・中学校及び特別支援学校小・中学部の指導要録について

(1) 小学校及び特別支援学校小学部の外国語活動について,設置者において,学習指導要領の目標及び具体的な活動等に沿って評価の観点を設定することとし,文章の記述による評価を行うこと。

(2) 特別活動について,学習指導要領の目標及び特別活動の特質等に沿って,各学校において評価の観点を定めることができるようにすることとし,各活動・学校行事ごとに評価すること。

4 高等学校及び特別支援学校高等部の指導要録について

 各教科・科目の評定については,観点別学習状況の評価を引き続き十分踏まえること。

· 小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校等における児童生徒の学習評価及び指導要録の改善等について(通知) 別紙
· 小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校等における児童生徒の学習評価及び指導要録の改善等について(通知) 参考

「都図研美術館連携鑑賞教育研究会打ち合せ」・・・2010/5/14(金)

image003-2.jpg「東近美の前庭。竹のそばによるとゾウさんでした!」○昨日は、東京国立近代美術館で、連携鑑賞教育の打つ合わせ会がありました。西洋美術館、工芸館、現代美術館、東京都現代美術館、また、あらたに現在工事中の都美術館(現美の武内厚子さんが異動しました)、が参加し行われました。今回は、東近美のギャラリートークのレクチャーを受け、9月に公開授業を東近美で行うような企画が提案され検討中です。
そのなかで「VTS」のビデオなども見せていただきました。日本では著名なアメリア・アレナスが行っている「対話型鑑賞」のもととなっているものです。
image004-1.jpgこの絵は「何が描いてあるの?」ではなく、「何が起こっているの?」、さらに、「どうしてそう思うの?」「何をみてそう思ったの」と「確認」というシンプルなシステムだけで、実に子どものさまざまな意見が飛び出て来るのをみると、驚きますね。
徳 雅美さんの文章によると…

○「VTS とは「Visual Thinking Strategy」の頭文字を取った略語であり、美術作品を通して子ども達の考える能力、コミュニケーションの方法、つまりヴィジュアルリテラシー(視覚読み書き能力)を高めるための鑑賞教育の一方法論である。心理学者であるハウセン(Abigail Housen)が、1970年代から研究している「美意識発達理論」註6)を基礎に、元ニューヨーク近代美術館美術教育長であったヤノワイン(Philip Yenawine)と共同で開発された。」

…ものだとのこと。また、先ほどの発問としては、次のものが示されていました。

○VTSにおける基本的3つの質問
質問1「何の絵でしょう?この絵の中に何が見えますか。」(What's going on in this picture ?)
質問2「何を見てそう思います。」(What do you see that makes you say that?)
質問3「他に何かありますか。」(What else can you find?)

(http://www.csuchico.edu/~mtoku/%E9%80%A0%E5%BD%A2%E6%95%99%E8%82%B2%E5%AE%9F%E8%B7%B5%E5%85%A8%E9%9B%86pp308_32002.pdfより)

「ゾウさんギターゲット!!&文京区区小研」・・・2010/5/13(木)

image001.jpg「学芸大学附属竹早の桐山先生からゾウさんギターをいただきました。(横からみるとゾウにみえるのでそう呼ばれる)いやうれしいですね。買おうかな〜と思っていたところでした。おいしい日本酒、一升と交換することにしました。○昨日は、文京区の区小研の総会と部会がありました。区のレベルのこうした研究会は、図工の教師にとっていちばん身近な同業者のいる研究の場です。こうしたところで何気ない話が役に立ちます。学校では、ひとりきりですから、こうした場を活用して、指導の改善を図るのが一番の近道でしょう。
こうした場は、基本的には任意の研究の場です。ですから自主的なかかわりへの意志が必要です。最近は、自分の職場にこもってしまう傾向の方が強い感じがしますが、そうした傾向が強くなればなるほど、図工教育そのものが弱体化していきます。
これは、都図研、区小研などの研究会自体がもつシステムが、自主的に開かれた研究会として、様々な現実的な教科指導の研究を展開できるといった長所を持つ半面、消極的な参加態度も内包してしまうという弱点を抱えてもいます。
日本に「民主主義」が根付かないことと関係あるかしら?
image007.png「研究会のあと、白山の安くてうまい中華店の畳敷きの古めかしい二階の座敷で反省会。こうやって写真で見るとなんだか昭和の日活映画の一場面みたいです。昔は、こういう店でよく図工部の飲み会がありました。右側の「クールな赤木圭一郎」は大道先生です」

「第1回理事研究会&クワガタ・マニア」・・・2010/5/12(水)

image003.png

○あいにくの雨にもかかわらず、約70名の理事の皆さんが、第1回目の理事研究会に参加されました。新旧役員紹介から始まり、各局の連絡、提案、研究発表、新規事業などが発表、報告されました。これで、ようやく都図研の本年度の出発にこぎつけました。
すでに各部局では、個別に活動が進んでいますが、都図研の最も特徴的なことは、理事研究会という制度を通じて、現場の意見や活動の総意として、事業や活動を展開しているところです。都図研が現在でも、現場性をもったエネルギッシュな活動を展開できているのも、実は、こうした組織的な開かれた場を土壌として保存してきたからです。
それにしても、理事の皆さんの顔ぶれがどんどん変化していますね。こうした伝統がいつまでつづくのか、不安なところです。若い先生方が、興味をもって、都図研という研究会のよさを理解し、研究会自体を継続・維持していくようになっていかないと、先細りになっていくでしょう。

○久しぶりに会った玉置副会長と話していて、彼が「クワガタ・マニア」であることを思い出しました。夜な夜な光が丘公園で、また、時間があれば、山梨県や長野県へ、クワガタ採集にでかける玉置先生は、現在、自宅に50匹ものクワガタを飼育しているそうです。
どんどん増えてしまうそうなので、都図研の「クワガタ・マニア」の方は、玉置先生にご相談されると、譲ってもらえるらしいです。クワガタを欲しい方は、個人的に連絡されてはいかがでしょう(笑い)

「昨日という一日&『揺れる世界の学力マップ』佐藤学他、明石書店」・・・2010/5/11(火)

  • 仕事が終わらず、午前3時すぎまでかかってしまい、ヤバイと思い寝る。
  • 5時半起床。シャワー。
  • 出勤、7時到着。
  • 授業の準備など。
  • 全校朝会。
  • 1・2校時授業。
  • 3・4校時授業。
  • かたづけの後、給食。
  • 5校時授業。
  • 6校時自己申告、面接。
  • 放課後運動会係活動。
  • 理事会資料1箱届く。5箱は日曜日。
  • 電話4件対応。
  • そうじ。
  • 事務処理。
  • 午後5時半、某会議へ。
  • 午後10時過ぎ帰宅。
  • メールがどどど…。
  • 日記作成送付。
  • 午後11時すぎ就寝。

隙間なく、時間が過ぎました。
…そういえば反省会会場を予約するのを
忘れました。
アマゾンに日曜日に注文していた本が届いていました。はや~い!
ぺらぺらとめくっているうちに寝てしまいました(笑い)

「『揺れる世界の学力マップ』佐藤学他、明石書店、2009年。

image002-9.jpg近年の「教育」におけるさまざま論争の中心であり、キーワードとなっている「学力」について、比較教育学的な視点から考察したものです。世界的な学力観の多様性を「欧州連合(EU)」「北欧」「イギリス」「ロシア・CIS」「北米」ラテンアメリカ」「東南アジア」「東アジア」地域の紹介と考察を通して、「日本の学力」を総括していくものとなっています。
現在、起こっている現場の事象を見つめ直すためにも、こうしたグーローバルな観点からの教育の見直しも、大切なことと感じられます。詳しくはみていませんが、①「学ぶ意味」の重要性、②日本の教師の自律性や教養の低さ、③テストやドリルが多い国は学力が低く、芸術教育を重視する国はPISAの調査でも学力が高い傾向にある。③習熟度別指導を行っている国は、学力水準が低く学力格差が大きい。また、教師のパートタイム化すすんでいる。(我々の身近なところでは、中学の美術教師などはまさに現在進行中ですね。)学力を保障しないシステムが広がっている…というような指摘は興味深いですね。もう眠いので、また後日、紹介します」

「サボテン君に芽が!」・・・2010/5/10(月)

image003-5.jpg我が家のサボテン君たちにも、季節の到来です。すっかりしなびてきてしまったサボテンたちもこのところの温かさで息を吹き返しつつあるようです。よく見ると小さな芽がでてきていましたよ。image004-5.jpgサボテンの花は、ぱっと咲いてぱっとしぼんでしまいます。その瞬間を見逃すと今度いつ会えるかわかりません。今年はどんな姿をみせてくれるでしょうか?ぼっとしているので見逃してしまうかもしれません

○このところこの「日記」の音楽のリンクのところで、菅原先生が工夫をしてくれて、画面が、見えるようにしてくれています。なんだか画面の構成がかわると「日記」も違って見えてきます。ところが…ぼくのパソコンでは、見える画面と少しだけ見える画面と隠れてしまっている画面があります。どうなっているんでしょうね?菅原様なんとかしてくださ〜い!!

○今週がまた始まります。土曜公開だったので、休んだ気がしません。それに、ものすごい勢いでメールが飛び交っていて、皆さん、休日にもめげず、仕事をしていただいております。ホントありがとうございます。今週もよろしくお願いします。

「11日(火)は青柳小で第1回目の理事研究会!」・・・2010/5/9(日)

image005-1.jpg「土曜日の学校公開の日。早朝の東池袋の再開発地区。やけにクールにみえます。ここから歩いて10分の護国寺境内に勤務する学校があります。東京のどこでも、神社や寺は、都市の中にあって、自然が遺物のように温存された空間ではないでしょうか。」○来週は、理事会があります。本間理事長は、理事会の資料、都認定研修や研究推進団体の申請書を含め、膨大な書類の作成に励んでいる。「ゴールデンウィーク」は、こもりきりで、作成していただいたようです。どこへもでかけられなかったようで…ふと気付くと、「白い愛車」(輪が四つのマークの外車でなんて言いましたっけ?とにかくぼくの大衆車とちがってカッコイイやつ。笑い)にまたがって「御殿場」に立っていたという…本間理事長先生、アリガトウゴザイマス!!
また、研修局・研究局・研究ゼミ・広報局・HP・事業局(都展)・大会関係なども、動きだし、計画を練っていただいています。今年度も関係の先生方ありがとうございます。
各地区の理事の先生方ご参加よろしくお願いします。

○岡田京子先生からご案内のあった、昨年研究局大会講師にお願いした彫刻家の三沢厚彦さん出演のNHK「トップランナー」をみようとTVをつけ、準備万端、よこになると…不覚にも、2分後には、眠りの底に落ちていました…トホホ。そこで、NHKの案内より…

◇トップランナー
愛嬌(あいきょう)のある動物作品などで人気の彫刻家、三沢厚彦氏を迎える。「アニマルズ」と題された動物シリーズは愛くるしい表情と、どう猛さを併せ持った木彫りの作品群。ほぼ等身大で作られ、リアルというよりはまるで物語の世界から飛び出してきたかのような存在で、人と会話ができそうな愛嬌がある。三沢氏は作品を制作するとき、実際の動物は見ない。頭に思い浮かんだ動物のイメージをデッサンし、それを立体にしていくのだという。好んで使うのは、古くから仏像を作るときにも使われるクスノキ。その丸太を寄せ集め、チョークで簡単に線を引き、チェーンソーで粗取りして、後は昔の仏師さながらにひたすら、のみで形を彫り出していく。木材が三沢氏の手により命を吹き込まれる瞬間に迫る。

http://tv.goo.ne.jp/contents/program/008/0031/20100508_2330/index.htmlより)

image006-1.jpg「三沢厚彦『アニマルズ』より」


○吉野寿さんと高田蓮さんの『40W』のゆるりとした制作風景1・2をみながらのお別れです。
このひとたちは、音楽分野ですが、まるで図工する少年たちみたいに楽しそうですね。

1 http://www.youtube.com/watch?v=q8QzA3dAEh0&feature=related

2 http://www.youtube.com/watch?v=LAVfhP9chgc&NR=1

「都展運営委員会&第1回都図研研究ゼミ」・・・2010/5/8(土)

○昨日は、都展運営委員会が、会場校の「都立産業技術高等学校品川キャンパス」で行われた。今年の都展は、都美術館が改修のため2年間使用できないため、本会場が選ばれた。また、会期も、11月3日~6日。搬入は2日、搬出は7日と変則的なかたちとなった。都展は60年を迎え、都の学校種が勢ぞろいする大きな展覧会で小学校の図画工作もその一分野を担ってきた。今年は、輪番で、ぼくが運営委員長となる。まだ具体的な方法などが確定していないが、子どもや教科のよさをアピールできる場と考えて、みんなで協力して、よい展覧会にしていきたいものですね。
image003-3.jpg都立産業技術高等学校品川キャンパスの下見会を兼ねた運営委員会。平成22年度、平成23年度の都展は、ここを会場として開催されます。大きな講堂。体育館。柔道練習場と隣のスペースの4か所をおさえてあります。が、予算の関係やパネルの枚数や出品点数、方法の関係で、まだ具体的な設計図は引けていません。image004-2.jpg7月には、展示方法など具体化の予定です。今年で60回を数える都展です。皆様と協力し、子どもが主役の展連会にしていきたいと思います。毎年、2万5千以上の参観者があり、都美術館で最も集客率の高い展覧会で、保護者の関心も高い都展です。

○その後、ぼくは、「都図研研究ゼミ」の交流会に参加した。50名以上の若い先生方が参加する今年度新規に設立した研究会であるが、3分の1の皆さんが残ってくれて、意欲と楽しい雰囲気を味わわせてもらった。昼間の研究会の方も、自分の課題や作品を持ち寄り、たいへん楽しく有意義な会となったようである。1年間かけて、いろいろなものが見えるようになってくるとますます図工が楽しくなると思います。image006.jpg「第1回の都図研ゼミがあったが、ぼくは研究会には参加できなかった。遅れて、交流会には参加できて、若い先生方の意欲に元気をもらいました。単なるマニュアル系の研修ではなく、自分と子どもの関係を深く見つけ直す場であってほしいですね。若手の皆さん、楽しくがんばれ~!」何よりも自分や子どもが楽しいものやことをみつけることができればいいですね。そして、いろんな人と交流して、図工仲間を増やしてください。

○今日はぼくの勤務校は「学校公開」です。では、全国の学校公開日の皆さんと、おおはた雄一さんの『かすかな光』を聞きながらのお別れしましょう。

http://www.youtube.com/watch?v=8EFydN-a5l8&feature=fvw

「研究局研究会」・・・2010/5/7(金)

image004.jpg○昨日は、杉並区の方南小学校(杉山先生)の学校で、第2回目の研究局会があった。本年度から、大畑研究局長となって、新しい研究局がはじまった。地下鉄で、偶然、大畑先生と一緒になり、話しながら、地下鉄駅を出て、歩いて行ったのだが、休みボケか、方向を間違え、ちょうど方南町の交差点を180度逆の方向へ歩いて行ってしまった。川はあったのだが、違う川で、工事の監視の人に聞くと、真反対の方向だったことに気がついた。たいへん暑く、時間は定刻をすぎやっとたどりついた。トホホ…大畑先生、すいませんでした。
ということで、研究会がはじまった。テーマや年間スケジュールなどを話し合って、最後に、「作品持ち寄り研究」となった。やはり、実践は、うそをつかないですね。その先生が、何をしたかったのか、何を考えているのか、よく見えてきます。だた、解釈が、異なってくるのですが、このあたりの話し合いが、「ものimage003-1.jpgをみる力」のようなもの鍛えていきます。
ぼくは、面白いと思うのは、教師ご本人の説明と異なるところで、子どもが生き生きと活動していることです。自分の思惑とは、ちがって、そこでの、子どもの活動の本当の意味を見抜ける(感じられる)ようになると、すごい面白いと思います。
新しく研究局に入られた方も臆せず、がんがんやってください!

○今日は、「都図研研究ゼミ」(花園小学校)と都展運営委員会と都図研事務局会がバッティングしてしまいました。ぼくは、本年度、都展運営委員長なので、都展の方に出てから、都図研研究ゼミにうかがいます。本間理事長は、都図研研究ゼミに出てから、事務局会に参加します。

「山之口貘さんの詩集」・・・2010/5/6(木)

image002-1.jpg○昨日紹介した文月悠光さんの詩集が半年で第3刷でした。そばにあった、現代詩文庫1029『山之口獏詩集』(思潮社)をペラリとめくってみると、1988年~2000年、およそ12年かかって、第3刷を数えています。なんとゆっくりとした歩みでしょう。
山之口貘さんは、沖縄出身の詩人で、生涯、貧しかったが、機知にとんだユーモラスな詩を書きつづりました。ぼくは、若いころ、高田渡の唄や金子光晴の文章の中で、山之口貘さんの詩に触れ、なんだかとても親近感を覚えたことを思い出します。

山之口貘来歴
・1903年(明治36年)9月11日第百四十七銀行沖縄支店勤務の父・重珍、母カマト(戸籍名トヨ)の三男として生まれる。童名はさんるー。
・1917年(大正6年)4月に沖縄県立第一中学校(現沖縄県立首里高等学校)に入学する。学校では標準語を用いる様に指導されたが反発してわざと琉球語を用いた。
・1918年(大正7年)から詩を書き始める。ウォルト・ホイットマン、島崎藤村、室生犀星の詩を読んだ。また大杉栄の影響を受けた。
・1921年(大正10年)に一中を退学する。
・1922年(大正11年)の秋に上京して日本美術学校に入学。入学式の時に、南風原朝光と出会う。一か月後に退学する。
・1923年(大正12年)の春に家賃が払えなくなって下宿屋から夜逃げをし、一中の上級生の友人と駒込の家に移住する。同年9月1日に関東大震災で罹災し無賃で機関車と船に乗って帰郷する。父が事業に失敗し自宅も売却されて、家族は離散していた。石川啄木、若山牧水の歌、ラビンドラナート・タゴールの詩を読んだ。・1924年(大正13年)の夏に再び上京する。
1926年(大正15年 / 昭和元年)から書籍取次店店員や汲み取り作業員等の様々な仕事を勤め、家が無いので公園や知人の家で寝泊りした。同年11月に佐藤春夫と知り合う。
・1927年(昭和2年)、佐藤から高橋新吉を紹介される。
・1929年(昭和4年)から東京鍼灸医学研究所の事務員になる。
・1930年(昭和5年)に伊波普猷の家に住まわせて貰う。
・1931年(昭和6年)に『改造』4月号で初めて雑誌で詩を発表する。以降は様々な雑誌に詩を発表する。
・1932年(昭和7年)に金子光晴と知り合う。
・1933年(昭和8年)、貘をモデルとした佐藤春夫の小説『放浪三昧』が脱稿される。
・1936年(昭和11年)に鍼灸医学研究所を辞職。半年ほど隅田川のダルマ船に乗る。
・1937年(昭和12年)10月に金子の立会いの下で見合いをして同年12月に安田静江と結婚する(婚姻届提出は1939年(昭和14年)10月)。
・1938年(昭和13年)8月に初の詩集『思弁の苑』を発表する。寡作なので編むのに時間がかかったのだ。
・1939年6月から東京府職業紹介所(職業安定所)に勤める。
・1940年(昭和15年)12月、第二詩集『山之口貘詩集』を発表。
・1944年(昭和19年)12月、妻静江の実家茨城へ疎開。
・1948年(昭和23年)3月に紹介所を辞職し以降は執筆活動に専念する。同年に火野葦平と知り合う。
・1958年(昭和33年)7月、第三詩集『定本山之口貘詩集』を発表(翌年、同著で第二回高村光太郎賞を受賞)。同年11月6日に34年振りに沖縄に帰る。首里高校で帰郷記念の座談会が行われ大城立裕等が出席した。
・1959年(昭和34年)1月6日に東京の自宅に帰る。
・胃癌を発病して1963年3月に入院、同年7月16日に手術を受けるが7月19日に59歳で死去する。葬儀委員長は金子が務めた。墓地は松戸市の八柱霊園。法名は、南溟院釋重思。
・1964年(昭和39年)12月、第四詩集『鮪に鰯』が刊行される。

(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E4%B9%8B%E5%8F%A3%E8%B2%98を参考に)

○さて、今日は、全国の庶民の皆さんと、唄、高田渡。詩、山之口貘『鮪(まぐろ)に鰯(いわし)』を聞きながらのお別れです。

http://www.youtube.com/watch?v=YjPaERepRIs

「文月悠光(ふづきゆみ)詩集『適切な世界の適切ならざる私』(思潮社、09年)がやっと届いた」・・・2010/5/5(水)

image003.jpg○宅配便が、戸をたたきました。文月悠光さんの詩集が届いたのでした。フツー、アマゾンはすぐ届くのですが、もしかして、入力を間違っていたかもしれない…などと思っていた矢先でした。「奥付」をみると第三刷となっています。半年で詩集が三刷というのは…たぶん売れているのかもしれませんね。美術教育の本は、一刷を売り切らず「絶滅」するのがほとんどです。同じように「詩集」も「絶滅」モノがほとんどでしょう。
本書は、1991年生まれの女性詩人が十代に紡ぎだした詩を集めたものです。今年は2010年なので…現在19歳ということになりますね。現実の瘡蓋(かさぶた)を引きはがすような痛みの感覚が、初々しく感じられます。
思えば十代の日常生活とは「学校」です。(そして「社会」は現在ではすっかり「学校化」してしまっています。)もしかして、恣意的解釈ですが…題名の「適切な世界」とは「学校」かもしれません。そして「適切ならざる私」とは、それに異和を感じる私(たち)なのかもしれません。
以下引用の「天井観測」という詩は、保健室を題材としています。事物は観測者(詩人)の感性によって、切り取られ提示されます。(「保健室」は、子どもの避難場所でもあります。)処々にドキッとすることばが出現します。

天井観測       

学校に行く意味はなかった。
朝七時一○分。
時計の針がおじぎをしたら
私は規則的なフローリングの木目を踏みしめて
パジャマのすそを引きずらなくてはならない。
空白の中、
私の足もとを木目がかけぬけてゆく。
ゆっくりと目を細めてみたけれど
この身体で何ができるのか、何をすべきか
本当のことは誰も知らないようだった。
生きる意味は
どこに落ちているんだろう。
きれいに死ねる自信を
誰が持っているんだろう。
自分は風にのって流れていく木の葉か、
でなければあんたが今
くつの裏でかわいがった吸殻ではないのか。
存在なんてものにこだわっていたら、
落ちていくよ。
『どこへ?』
橋の下さ。

保健室のベッドは非日常的。
ミルク色のタオルケットが
何か酔いしれたようなつぶやきを
私の鼻にささやく。
「先生、このにおい、クスリ?」
先生は
「寝不足かねえ……」
とだしぬけに私の目をのぞきこむ。
私の瞳が真っ暗な穴ぼこではありませんように。
けれど、私は先生のほくろに小さな闇を見た。
よく見ると、その闇はぱっくり口を開き、
静かな呼吸をくり返している。

保健室、天井を眺めるためのお部屋、
天井観測ベッド。
私は自分にまでも隔離されて、
ふと、翼が生えたような感覚に頭をなでられた。
その感覚は伸びきった四肢を食いつくして、
この肉体をさらっていく。
足の指一本一本が立ち上がりそうな。
そうしてタオルケットを抱きしめていたいような。
チャイムが鳴ってほしくない。
私はなでられた頭をふって、
天井の空を飛んでいた。
ああうれしい。

家に帰りたいと思うしくみが知りたい。
意味はないんだ。
たった今、吸殻が落ちていたからね。
(同書、P26~29より)

「【野々目展】の準備(おじさんたちの奇妙な情熱)」・・・2010/5/4(火)

○昨日は、黄金週間の中日にもかかわらずCCAAに、鈴石先生、穴澤編集長、水島教授、横内先生らが集まり、資料の整理や展示作品の選別…などを行った。(ほんといい天気なので、まっとうな考えからすれば「この連休に、こんなことしてちゃいけないのではないのか!」などと考えないところが、この人たちのすごいところかもしれません。(笑い))
児童作品や個人資料がごちゃまんとあり、これを整理して、展覧会までもっていくのは、時間もお金もない私たちには、至難の業かもしれません。…が、「野々目先生」とか「創美」とかいうことばは知っていても、そうした既成概念を越えて、こうした現物をみていると、ぼくのような無知で不勉強なものにも、発見があります。
野々目先生の指導作品の巨大さには驚かされます。黄ボール紙の全紙が2枚つなげて貼って描かれたものが何枚もでてきます。それに、顔料を混ぜてつくった絵の具で描かれており、何十年たっていても「カビ」が生えていません。鈴石先生の話だと、たぶん、防腐剤もまぜているとのこと。綿密にメモされた「技法ノート」があり、版画や顔料などの研究にも熱心だったことが分かります。また、海外の児童画も研究していたことがうかがえます。心理学関係の資料もあって、無意識や抑圧や解放といったことに関心があったことがうなずけます。
ぼくは、これらの児童画をみていて、印象的な感想ですみませんが…「横尾忠則」さんを思い出してしまいました。無意識を図式化して、表出させる。そこには、表面的な現実ではなく、もう一つの現実(エロスも含めた)が出現している。そんな感じがしました。
現世を謳歌する感覚主義でもなく、現実を認識するための技巧でもないような独自性がそこにあるように感じました。
image002-1.jpg「映画『絵を描くこどもたち』(監督:羽仁進、1956)に出てくる児童画(江東区大島第一小時代)がありました。この時期の絵は何とも伸びやかです。ぼくなんかからすると、この時代の絵は、文句なしにまったく素敵です。けれども、こうした絵の傾向とは異なり、全体的にみると、野々目先生の指導した絵の感じは、無意識の不思議さ、異和感があります…たとえて言うと、「横尾忠則」さんのような感じです。」image009.jpg「バスキアのTシャツを着てがんばる穴澤編集長。体調不良をおして、がんばる水島教授。時折、これは、こうなんですかね……なんていう感じで、話しながら作業する。生きた学習ですね。この情景は、先日、鈴石先生と穴澤さんが、絵について野々目先生に解説をいただいたインタビューを原稿化したものについて説明している。児童画は、それが描かれた文脈がわからないと、わからないところがあります。ちなみに水島先生は「国立」に昨日いってきたそうです。ヘビーなキヨシロウ・フアンです」image010.jpg「さすが、愛弟子、鈴石先生は、詳しいですね。細部はよく知っていますし、創美についてもよく勉強しています。情熱の発信源です。この情熱はどこからくるのでしょうか?」image011.jpg「朝、横内先生とCCAAの図工室につくと穴澤編集長が、大人なので、自分で仕事みつけてやってください!早速、大人の横内先生は、資料のデータ化をはじめた。夕方まで、一言もしゃべらず、黙々と作業する横内先生。100冊登録してその日を終了した。すごい集中力です。子どものぼくは、あっちふらふら、こっちふらふらタイプですな」

創造美育協会の「宣言」文のコピーは、こちらからダウンロードできます。
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○今日は、昨日の会でも評判のよかった MICHEL PETRUCCIANIのピアノソロで『C Jam Blues』を聞きながらのお別れです。

http://www.youtube.com/watch?v=Baw6haf5P94&feature=related

「清志郎さん一周忌」・・・2010/5/3(月)

image004.jpg○5月2日の昨日は、「忌野清志郎」さんの一周忌でした。なんと時のたつのは早いものですね。ぼくの父親の命日が5月3日なので、黄金週間は、ふたつの命日が続くことになりました。
清志郎さんは、1951年生まれなので、1954年のぼくより3つ上。ぼくが高校生1年の70年には、すでにデビューしていて、72年には、本邦初で最後?の美術の先生を主題にした『ぼくのすきな先生』がヒットしました。サッカー部の山岸くんが、RCのコンサートのチケットを2枚持っていて、六本木のホールに連れて行ってくれたのを思い出しました。遅刻したぼくたちは、係員の誘導で、舞台最前列横の非常口から中に入れてもらったのですが、そこはスピーカーの真ん前で、生ギターであるにも関わらず、大音量を浴びながら聞いたのでした。
image003.jpg…そう言えば山岸くんは、どうして2枚もチケットを持っていたのでしょうか?38年後の今、急に気付いたのですが、山岸くんを振った女の子にもお礼を言わなければいけませんね!(笑い)アルバム『楽しい夕に』(1972)は、今も本棚に眠っています。
その後、1979年に『シングルマン』(76年、すぐ廃版)が再発実行委員会によって再販されました。名曲『スローバラード』も入っています。78年頃まで、不遇時代が続きましたが、この時期に音楽的な原型が形成されているように思います。
今日はなつかしい曲を聞きながらのお別れです。

○72年『楽しい夕に』所蔵の『忙しすぎたから』のカバー版、忌野清志郎&仲井戸麗市(1994)は、
http://www.youtube.com/watch?v=M2atfpmcw8s&feature=related


○売れない時代の、1976年『OH!YA!(大家)』は下記のサイトです。
http://www.youtube.com/watch?v=rqDSIxZ_wig&feature=related


○同じく売れない時代の『まぼろし』は下記のサイトです。
http://www.youtube.com/watch?v=wgiiwrDHr94&feature=related

「まぼろし」 RCサクセション
作詞・作曲 忌野清志郎

ぼくの理解者は 行ってしまった
もう ずいぶんまえの 忘れそうな事さ
あとは だれも わかってはくれない
ずいぶん ずいぶん ずいぶん長い間
ひとりにされています

だれか友達を あたえて下さい
何度も 裏切られたり 失望させられたままのぼくに
そしたら ぼくの 部屋にいっしょに連れて帰る
幾晩も 幾晩も 幾晩もの間
枕を濡らしました

ぼくの心は 傷つきやすいのさ
ぼくは 裸足で 歩いて部屋に戻る
だから 早く 近くに来て下さい
いつだって いつだって 昼も夜もわからず
まぼろしに追われています

「岡本太郎「芸術の原型」美術手帖、1965年、7月増刊号」・・・2010/5/2(日)

○子どもの中にも「大人」がいて、大人のなかにも「子ども」がいる。だから、「岡本太郎」と「子ども」は同志です。太郎が美術教育運動に首を突っ込むのも当然かもしれません。
太郎のことばは、放埓(ほうらつ:放たれた馬)のようだけれど、狭い基準にあてはめて読んではいけません。そこには、文化人類学的な視線…人間やそこに住まわざるを得ない社会の在り方を根元から見返す視線をもったことばだから。
えーと、1911年(明治44年)生まれの太郎は…来年で生誕100年ですね!

○「あの人に会いたい、芸術家岡本太郎」は…

http://www.youtube.com/watch?v=68fcl9aDFZE

○年譜

· 1911年2月26日
母の実家である神奈川県橘樹郡高津村二子/現在の川崎市高津区二子に生まれる。
· 1917年
東京・青山の青南小学校に入学
· 1918年
2回の転校ののち、東京・渋谷の慶應幼稚舎に入学。
· 1929年
慶應義塾普通部を卒業、東京美術学校(現・東京芸術大学)洋画科入学、半年後中退。
· 1929年
父のロンドン軍縮会議取材に伴い、渡欧。その後、ソルボンヌ大学哲学科で哲学・心理学・民俗学を学ぶ。
· 1936年
油彩「痛ましき腕」制作。アンドレ・ブルトンに絶賛される。
· 1940年
パリ陥落に伴い帰国。
· 1942年
海外に在住していたために延期されていた徴兵検査を31歳にして受け、甲種合格。召集され、中国にて自動車隊の輜重兵として軍隊生活を送る。
· 1946年
復員、東京都世田谷区上野毛にアトリエを構える。
· 1947年
後に養女となる平野(旧姓)敏子と出会う。
· 1948年
花田清輝、埴谷雄高らと「夜の会」結成。
· 1949年
読売新聞美術記者、海藤日出男のたっての希望により、戦災で焼失した油彩画「傷ましき腕」、「露店」を再制作。
· 1950年
読売新聞主催の現代美術自選代表作十五人展に11作品を出品。
· 1952年
東京国立博物館で初めて縄文土器に触れ、衝撃を受ける。11月に渡欧。翌年にかけてパリとニューヨークで個展を開く。
· 1954年
アトリエを青山に移し「現代芸術研究所」を設立、『今日の芸術』を光文社からはじめて刊行。
· 1955年
ヘリコプターで銀座の夜空に光で絵を描く。
· 1956年
旧東京都庁舎(丹下健三設計)に「日の壁」「月の壁」など11の陶板レリーフを制作。
· 1957年
46歳にしてスキーを始める。
· 1959年
初めて沖縄に旅行する。またこの年から彫刻を始める。
· 1961年
草津白根山でスキー中に骨折入院(同じ病院には石原裕次郎が入院していた)。療養中に油彩「遊ぶ」、彫刻「あし」を制作。
· 1964年
東京オリンピックの参加メダルの表側をデザイン。
· 1965年
名古屋の久国寺に梵鐘「歓喜」制作。
· 1968年
初めての建築作品「マミ会館」が竣工。
· 1970年
大阪の日本万国博覧会のシンボル「太陽の塔」制作。
· 1973年
岡本太郎デザインの飛行船レインボー号が空を飛んだ。スポンサーは積水ハウス。
· 1974年
NHK放送センター・ロビーにレリーフ壁画「天に舞う」制作。
· 1976年
ウィスキー・グラス製作。「グラスの底に顔があってもいいじゃないか」が流行語になる。
· 1977年
スペイン国立版画院に、日本人作家として初めて銅版画が収蔵される。
· 1978年
テレビ番組「もう一つの旅」撮影のために訪れたマヨルカ島で、ショパンが使用したピアノを弾く。
· 1979年
慶應義塾大学の卒業記念品としてペーパーナイフを制作。はじめての著作集が講談社から翌年にかけて刊行される。
· 1981年
初めてコンピューターで絵を描く。日立マクセルのCMに出演し、ピアノを叩き叫んだ言葉「芸術は爆発だ!」が同年の流行語大賞の語録賞を受ける。
· 1984年
フランス政府より芸術文化勲章を受ける。
· 1985年
つくば万博のシンボルモニュメント「未来を視る」を制作。あわせて万博記念発売の洋酒ボトルをデザインする。こどもの城のシンボルモニュメント、「こどもの樹」を制作。
· 1986年
福井県三方町で復元された縄文前期の丸木舟の進水式で舟長として舟を漕ぐ。
· 1988年
ダスキンのCMに出演。翌年アメリカの第29回国際放送広告賞を受賞。
· 1989年
フランス政府よりフランス芸術文化勲章を受章。
· 1991年
東京都庁舎移転のため、旧庁舎に設置されていた1956年作の陶板レリーフが取り壊される。
· 1992年
油彩「疾走する眼」制作。
· 1994年
三重県で開催される世界祝祭博覧会のシンボルモニュメント「であい」制作。
· 1996年
1月7日 急性呼吸不全のため慶應義塾大学病院にて死去。享年84。
· 1998年
青山の住居兼アトリエ跡に岡本太郎記念館が開館。
· 1999年
神奈川県川崎市多摩区の生田緑地内に川崎市岡本太郎美術館開館。
· 2005年
養女・岡本敏子死去(79歳)。
· 2006年7月7日
大作の壁画「明日の神話」が汐留日テレプラザにて初公開される。これを期に岡本太郎ブームが再燃する(Be TAROと呼んでいる)。
· 2006年11月28日
約60年間行方不明になったものと思われていた昭和22年制作の油彩画「電撃」と、岡本敏子をモデルとしたと見られる未発表の女性のデッサン画が、11月中旬に東京都港区の岡本太郎記念館で発見されたと発表。
· 2006年11月29日
「電撃」を一般公開。修復に出す12月10日までの期間限定。
· 2007年2月15日
巨大壁画「明日の神話」の制作初期のものとみられる最古の下絵(縦29センチ、横181.5センチ)が、岡本太郎記念館(東京都港区)で発見される。
· 2008年3月
壁画「明日の神話」の恒久設置場所が東京都渋谷区の京王井の頭線渋谷駅連絡通路に決まる。同年11月17日より一般公開開始。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E6%9C%AC%E5%A4%AA%E9%83%8Eより

※岡本太郎さんの「芸術の原型」はこちらからダウンロードできます。
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「ミツバの運命&久保貞次郎『美術教育は教師次第だ』美術手帖、1965年、7月増刊号」・・・2010/5/1(土)

image004.png「約2週間、かかって復活したミツバちゃんも昨日の夜、みそ汁の具材になって食べられてしまいました。犯人はぼくです(笑い)もう一回復活するかな?」○このところ『美術手帖』1965年7月増刊号「特集:子どもの美術」(岩崎清さん編集)を資料に、戦後の図工教育のおおまかな構図をみてきています。「創造美育協会」「造形教育センター」「新しい絵の会」「日本児童画研究会」など民間美術教育運動が、今日の美術教育の原型となるような活動を行っています。終戦によるそれまでの国家主義の瓦解によって、みたことのない民主主義という理想に向かって、人々が模索する熱意が、それを支えていました。そして、そこには、現場の教師のみならず、学者、芸術家など多くの人の集結がありました。
今日、文章を掲載する久保貞次郎さんや岡本太郎や北川民次、羽仁五郎・進、池田満寿夫…など多くの人々の力が結集していたように思います。
以前「こどもの城」で「フランツ・チゼック展」(1990年?、武蔵野美術大学)を開催しましたが、その講演を久保さんが行い、ぼくは、あいにく見に行けなかったのですが、かなり面白いお話だったようです。

久保貞次郎さんの「美術教育は教師次第だ」はこちらからダウンロードできます。
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